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【事業再構築】

久木原さんちの料理愛

25歳で飛び込んだ料理人の世界。
ホテルに卸すプロの味をご家庭に。

 A・K工房代表取締役の久木原慎介は少々変わり種の料理人。高校卒業後はサラリーマンだった。しかも料理には興味がなく、包丁を握ったことすらなかった。しかし、趣味の喫茶店通いが高じ、いつしか喫茶店オーナーになりたいと思うように。そこで思い切って退職。いくつかの飲食店の厨房で働きだした。時に25歳。年下の先輩ばかりの中で料理をゼロから学んでいく。

 「当時は料理は見て覚えろの時代。一人前になるのに10年と言われる世界だしね」。今では想像もできない料理人の徒弟関係もあった。しかし、サラリーマン経験が人との交流や経営感覚で役に立つことも。「料理以外の世界を知らないと、独立しても失敗しやすい」。自分の味が全てと思ってしまうと、お客はファンにならない。それが料理の厳しさ。

 小さなリゾートホテルの共同経営の経験も経て、A・K工房を創設したのは40代後半。ホテルへ飛び込み営業し、個性の強いホテル料理長たちから「コレ、作れるか」と試されたら、それ以上のものを作ってみせる。信頼関係を築き、ひたすら実力主義で応える。「うちならこれも作れる」と情熱を伝える。
 
 気づけば名のあるホテルやバンケット会場からの注文が増えていった。バンケット料理は会場側と久木原が互いに提案しながら生まれるという。互いに話し合い、納得のいく料理を双方で作り上げる。「でも美味しい料理はまだまだ世の中にたくさんある。目指したいのは究極の家庭料理。プロに選んでもらっているこの経験を活かして、家庭で美味しく気軽に食べられる料理を提供したい」と久木原。

 発酵食品を隠し味に使う、出汁の味、醤油の味を大切にする。いつ食べてもなんだかほっとする味を追求し、ご家庭に届け続けていく。

父の背中を見て作った料理を、
母が褒めてくれた喜びを再び。

 父の慎介がA・K工房を創業した当時、和也は中学生だった。思春期の和也は父の仕事にも料理にも興味がなかったが、父がたまの日曜日に作る夕食は楽しみだった。ステーキ肉の焼き方ひとつとってもそこにはプロの技がある。「母が作る料理は家庭の味。もちろんそれも美味しいけど、父の料理はプロの贅沢な味」と笑う。知らず知らずのうちに舌が肥えたかもしれない。

 高校生になると父の仕事場で料理補助のアルバイトを始めた。動機はバイト代欲しさ。「料理人になれ」とは決して言わない父だったが、和也はいつしか料理人になろうと思い始めた。「父の仕事する背中がかっこ良かった」。初めての手料理を「美味しい」と母が褒めてくれたのも嬉しかった。高校を卒業すると、そのままA・K工房で働きだしたのだった。

 しかし、親子で同じ厨房にいると、親子ゆえの感情の波が立つ時もある。二十歳そこそこの和也にはその感情のコントロールが難しかった。一時期を他のレストランで修業することに。そして気づいたのだった。「父は一人でここまでやってきた。自分はそれにかなわない」。

 再び同じ厨房に立つようになった父と子。慎介は和也を料理人たちの交流会「美食会」へ積極的に連れ出す。ベテラン料理人らの料理を味わい、舌と目を肥やすだけではない。プロとのネットワークを作るためでもある。そして慎介は言う。「料理はできたら終わりではない。もっと美味しくできる方法を考えろ」と。

 今、和也は思う。「いい食材で美味しい料理は当たり前。家庭の普通の食材でいかに美味しく作るか。親しみやすさと目新しさが料理の醍醐味」。そして和也は父に言った。「通販でお客さんの声を直に聞きたい」と。家庭で親しまれる味を追求したい。「初めての手料理を母が美味しいと言ってくれたように、お客さんの『美味しい』という言葉が聞きたいんです」。和也は少しはにかんだ笑みを浮かべた。